心についてのメモ書きーうつ等からぬけた人①

窮すれば通ず

悩んでいる人の状態や症状をあれこれ説明している本は多く、私もたいがいそんなことを書いている気がしてきました。

 

そこで、悩みを脱した人の状態について書いてみます。

その状態像もまた、今悩んでいる人の役に立つかもしれません。

但し、なるべく脱する過程や雰囲気を再現するつもりで書いてみます。

 

その前に、私は「寛解」というものが未だ理解できません。

原理的に精神状態が回復するのは、ある構造が他の構造に変化するからです。

裏を返せば、構造が他の構造に変わるのが未知で怖いからこそ、苦しみが生じています。

寛解は、構造が変わろうとする最重要のエネルギーをおしとどめて、あたりさわりなく元に戻すという意味のようですので、これは私の視野から外れています。

 

・窮すれば通ず

 

これは、カウンセリング自体とはあまり関係がありません。

理屈抜きの事実として起こることを書きます。

 

皆さんものすごく苦しい状態を経験するわけですが、「こうしたらいいよ」と言われて、「はい、わかりました、そうします」とあっさり変われる人は存在しません。

それくらい人間は頑固です。

 

今までの人生で学んだあらゆることを試しても全然駄目、もう進退極まったと「体で思い知る」ことが必要なこともあるのです。

そこで初めて今までのやり方に「絶望」し、その道にとどまるのを諦めて(その道についての絶望)、別の道に目が向き始めます。

 

人それぞれの「どん底」を経験すること自体、「症状の目的」だとさえ私は思ってしまいます。

周囲の目が気になり会社のトイレで昼飯を食べる日々、

ぼっーとしていて、駅の階段から転げ落ち骨折して入院し、無力感にまみれて大泣き、

休職した自分が恥ずかしく、焦って職場復帰したのに、すぐに休職となって、もう駄目だと呆然自失。

 

しかし、こういう状態の後にこそ、なんらかの手がかりを掴み、立ち直る方も多いのです。

「あの苦しい日々があったからこそ、否が応でも他のことに目を向けざるを得なかった」という思いがあるようです。

 

「窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通ず」というのは、このことを言っています。

私なりに意訳すれば、

アタマが窮して万策尽きれば、ココロが全面に出てきて、別の道を探すようにアタマに命令する、そうすると自ずと道が開けてくる、

ということになります。

 

99パーセント窮しているのに、1パーセントでも今までの生き方に未練があれば、変することはできません。

そして、それを捨て去ることができるのは、カウンセリング等のきっかけがあるにせよないにせよ、結局は本人の意図せざる心身の働きによるものなのです。

 

こういう言い方があるくらいです。

「馬を水辺に連れてくることは出来るが、水を飲ませることはできない。」

 

仮に捨て去る決意が既に出来ている方がカウンセリングに来られるなら、回復はかなり早いものになるでしょう。

そのような方は、接していてもすぐ分かります。

心身から滲み出る正のエネルギーの量自体が多く、なにより迫力があります。

なんとしても、どうしても、どうにかして、現状から抜け出さねば、という必死さが伝わってきます。

 

また、本人は気付いていませんが、なりふり構わなくなることで、今までは抑圧していたであろうその人本来のパーソナリティを隠すことなく醸し出しているので(つまりこのことが「窮すれば・・・」の「変じ」のことを指していると思われますが)、カウンセリングが「効きやすい」状態になっているのです。

 

本当に窮していない人がカウンセリングに来られた場合、定石としては関係を保ちつつ、窮し切るのを待つことです。

自ら変わる、変わりたいという意欲こそが、人間存在の根本のエネルギーだからです。

 

2018年7月31日