心についてのメモ書きーうつ等からぬけた人④

自分のやり方を身につける

「本物」の感覚に敏感になるということは、単純に言えばココロに正直になることです。

この正直に「なってゆく」過程というものがあります。

 

私の感覚的なものですが、回復の最終段階、あるいは回復した直後、その人はそれまで身に付けてきた行動パターンを一旦総点検して、(人により程度はあるものの)かなりの部分を修正せざるを得ません。

これは「窮すれば通ず」の回で書いた、それまでの生き方を捨て切るという深い所で起こる本質的なこととは違います。

本質的なことを反映した日常の具体的思考・行動のことです。

 

典型的な例に、会社員の方で「回復した後は、友達が少なくなったけど、だんだん平気になってきた」というものがあります。

あるいは、服装にむやみにこだわらなくなり、「最初は恥ずかしかったけど、服に気張るのをやめたら楽になった、服にかけるお金も激減した」という例もあります。

 

一旦自分のココロに正直になると、アタマが思考停止して従ってきた「会社の先輩・同僚に嫌われないように」とか「そこそこの会社なんだから服装に気をつけなきゃ」等の具体的な固定観念をひとつひとつ検討せざるを得なくなります。

そういう日常の行動パターンも、その人をそれまで縛ってきた、深い所の(偽の)中核信念から発していたものが大多数だからです。

 

但し、回復終盤期等には、邪魔だった信念を捨て去っても、日常の思考・行動パターンだけはまだ残っている、とうことはよくあるのです。

そういう細かいけども具体的な日常のパターンを見直していくのは、最初は戸惑うものです。

 

今まで感情を表現するパターンがあまり豊富でなかった人の場合、既に深い所では回復の過程で感情を解き放つことにOKを出していますが、例えば会社等の公の場で具体的にどう感情を出すのかを練習してゆくことになります。

 

今までやったきたことから一旦離れて、それを見直し、出していなかったことをいくつかの形で表現できるようにしてゆく。

 

これは、多少苦労することではありますが、なにせ根本の所ではもう取り戻している本来の自分をどう表現してゆくか、という極めて自己肯定的なエネルギーですので、フレッシュなワクワク感が溢れています。

 

これは一義的には自分を基準にして生活全てを組み立て直すことです。

これが一番肝心なことです。

 

二義的には、人によりますが、自分をしっかり守る術を身につけると同時に社会に再適応する術=処世術をもつことでもあります。

会社等の組織で働き続ける人は、多かれ少なかれ、自分を守る幹の部分と組織に臨機応変に合わせる枝の部分の二層構造をもつことになるでしょう。

 

一方で、ある人は、社会に部分適応、すなわちあいさつ・連絡・交渉や金銭管理など必要最低限のスキルはブラッシュアップしながらも保っておいて、残りの部分は社会から切り離し自分のなかに大切にとっておく、という趣の方もいます。

こういう方は、組織というより、独自の仕事・生活スタイルで社会に発信・関わりをもつようになります。

生活全般を通して幹の部分で生き、必要な時に枝をぱっと出せる、という感じです。

 

いずれにしろ、悩みを抜け出て自分というものを真に大切にしたすえには、自分の時間・人との関わりの時間に選択権をもって主体的に参加していけるようになるのです。

 

2018年9月4日