遊びの境地へ
最終的には、だんだんとユングの言う「個性化」へ向かうことが多いと思われます。
個性化と言っても、それは通常考える意味とは違って、下記のような普遍性のもとに個人のパーソナリティが各々あるという感じです。
普遍性とは、
物事へのこだわりが薄くなる、なくなる。
予定をたてない、計画をしない、あえて言うなら即興にこだわる、
結果的に、人の役に立つようなこと・真の価値を創造できる仕事、に無理なく取り組む、他者を育てる、真の友達ができる・そんな友達だけが残ってゆく、
年齢を重ねるにつれて、会得した自分らしさの感覚・本物の感覚は、良い社会とは何か、次世代を育てるためには何が出来るか、自分は何を残せるか、といったより大きいものに向かってゆく、
地球に生まれた生命体としての抗いようのない宿命として、
このような感じです。
そういうような、どこか自分を超えたようにみえるところで、各人が自分のパーソナリティを発揮することは、本人にしてみれば「遊び」の境地と言えます。
俺が、私が、という自我の縛りから半ば離れて、日々を内なる自然と共に生きるという感覚や活動。
それは、避けられない死、有限の生という人生のなかで、
究極的には死の恐怖から自分を守ろうとして精神的苦しみにおちいったものの、それを普遍性によって超越しようとする試みであり、超越した証であり、有限性というなぜか自分ひとりの孤独に与えられた責務のようなものを生き抜いたという誇りがあるのだと思います。
2018年10月2日