実存について
実存とは、人間が存在することについての根本的な命題のことです。
実存「哲学」といえば、ニーチェ、キルケゴール、ハイデガー、サルトル等が有名ですし、実存「心理学」なら、ユング、ビンスワンガー、フランクル、ロロ・メイ等が知られています。
実存の命題を挙げてみます。
なぜ生まれてきたのか?
生きる意味があるのか?
人間とは何か(動物とは違う存在なのか)?
自由とは何か?
責任とは何か?
孤独なのは何故か?
社会とは何か?
愛とは何か?
神とは何か?
死とは何か?
死んだら何もかも終わりなのか?
日常の生活では考えそうにないことばかりです。
村上春樹氏が以前どこかで、
「魂の午前3時に目を覚まさないように」するために、昼間は仕事や運動をしてご飯をきちんと食べて、夜は疲れと充実感と共に眠るのがとりあえずよいのだ、という意味のことを書いていました。
「魂の午前3時」に目を覚ますとは心ざわつく表現ですが、私はこれが人生の深淵を覗かざるを得ない、実存の体験のことだと考えています。
実際の午前3時というより、
人生のなかのある時、誰からも隔絶された静かな孤独の時間のなかで、湧き上がってくる深い疑問や不安に直面する・・・。
村上氏も本当はそのようなことを意図していると思います。
彼の場合、ことさら深夜に悩まなくても、昼間の集中力のある時間にそういう実存のことについて考えた方がいい、というだけのことだと思います。
精神的な苦悩を抱える方の問題を突き詰めていくと、結局は実存についての悩みであること、
あるいは実存について考えることそのものを躊躇していること、
というケースが多い気もします。
もしくはそのようなテーマ自体について、考えるのもバカらしいと否定しているけれども、無意識では実存に向き合うことを欲していて、そのジレンマがもたらす苦しさに訳がわからなくなっている人もいます。
魂の午前3時に目を覚まし、いちどしっかりとそれと向き合わねば、苦しみはそのままです。
解決はすぐにはもたらされない、あるいは一生解決されることのない根源的なテーマであるにしても、その全貌を自分の目で確かめないことには、見えないものゆえの恐ろしさに一生不安のまま過ごすことになります。
それを求めていることこそが精神的苦悩=大いなる価値ある苦悩の大切な意味でもあります。
そんなことを次回より具体的に考えてゆきます。
2018年10月9日