心についてのメモ書きー実存⑥

死について(続)

生き物から遠い、つまり死から遠くなっている人間。

 

では、いつから遠くなったのかというと、

近くでは医療技術すなわち自然科学の発達により、ペストやコレラ等の伝染病を防げるようになったことがあります。

 

今まではただ恐れ、むしろ天や神の罰だとでも捉えるしかなかったことが、人間の知能でコントロール可能になってきた(ように思えてくる)。

現代では、ほとんどの人が会社の健康診断を毎年受け、調子が悪いとなったらなによりもまず病院に行く。

そこで原因が分かれば、治してもらえるものだと思っている。

自分が40や50で死ぬと思っている人はあまりいない。

 

もう少し時代を遡ると、農業技術等が向上して、食料を安定的に生産して、貯蔵しておけるようになったことも大きいです。

そうなる前は、天候は作物の出来を大きく左右し、即生死に関わるものでした。

 

歴史の教科書には江戸時代に大飢饉があって何万人もの人が餓死したことが載っています。

なので、収穫への切実な祈りや感謝は宗教的儀式の色彩を帯びて、日本の新嘗祭や西洋のサンクスギビングとなって、今に続いています。

 

そんなわけで、現代のような医療技術がなく、食べ物の出来は天候に依存している、というような世界に人間は長く生きていたはずです。

そういう環境では、死は現代よりももっと身近に感じられたに違いありません。

生きていることの希少性が自明だったので、人間の成長や精神的自立は現実社会の要請とあいまって、早い段階になされたはずです。

 

伝染病に罹ったらまず確実に死ぬ、けれどというか、だからこそ、とにかく食べていければ御の字だ、という意識で普通の人達は人生を生きたと思います。

要は、人生の大事なことがすごくシンプルであったということです。

 

しかし、そうだからこそ、生きていることが輝いたと思います。

死はいつでも口を開けている、食べていけるだけでいい、と思うなら、必要以上の財産、必要以上の健康への心配は消えていきます。

 

そうすると、人生の選択肢は増えていきます。

辛い思いをしてまで組織に居続けることはしないでしょうし、職業上のチャレンジをする心理的なプレッシャーも低くなります。

医者の言うことをなんでもかんでも鵜呑みにするということもなくなります。

 

思い浮かぶところでは、幕末に活躍した多くの人物達は、存外、藩のエリートコースとは無縁のアウトローでした。

彼らは、現代の官僚のようにクローズされた内輪組織での既得権、保身、組織のしがらみ、息子の裏口入学等とは無縁で、本質的な、実質本位で、未来に向けて開かれた感覚を持っていたと想像します。

 

その感覚は、どこか死と隣合わせで、そうであるがゆえ潔く、大きなものを残そうという気概があったと思います。

つまり自分が信じる社会や理想を軸に考え、行動することが現代よりも可能だったのかもしれないのです。

 

ちなみに、そういう自己の軸を失っている生き方に対する警告が心理的なサインとして、空虚な上辺だけの偽りの生き方の自分のまま死ぬんじゃないか、という焦りやパニックを伴った抑うつ的な雰囲気として、現代の日本では社会規模で出てきている気がします。

 

2018年11月29日