心についてのメモ書きー実存⑦

自由について

「自由」とは私佐藤の好きな言葉です。

 

サラリーマン生活を二十数年続けた末に、一大決心をして退職したばかりの頃は、毎日朝早く起きて通勤電車に乗らなくていい日々、会社での多かれ少なかれ仕事や人間関係に気を使うことに追われなくていい日々を満喫しました。

それはたしかに縛られない自由な時でした。

 

ところで自由とは「自らの由(よし)」が語意で、上に書いたような解放感を伴う自由とはニュアンスが少し違います。

 

自由は福沢諭吉が「西洋の自由」の概念から造語したとされており、

社会の中での規範や責任を担う範囲で自らを表現すること、が正確な意味だと思います。

 

その意味の背景は、人間の自然権に由来すると私は推測しています。

自然権を形にしたものが、人はそれぞれ自己実現の権利を持っているという法概念になります。

基本的人権ということです。

 

また、人間は生来他者との関わりのなかで自己を位置付け、愛情をやりとりする存在であるがゆえに、自己実現を表現するには多かれ少なかれ社会という場が必要であり、色々な性格を持つ他者同士が円滑にコミュニケーションするには何らかのルールやモラルが必要となってくる。

そういう経緯で社会のなかでの規範や責任という用語が登場します。

 

クライアントがカウンセリングを経た後は、最終的には自分を十全に表現して生きることが目標だと私は考えています。

何故かは分かりませんが、生まれつきもともと(自然権的に)人間は個性、パーソナリティを持っており、それが邪魔されずに生育していけば、その人にとって素晴らしい人生となる。

 

つまり自らを自らたらしめるもの(由(よし))が決定的に大事だということです。

そして、それを社会のなかで表現して生きられる人間こそが逆説的にみえるかもしれませんが、誰の価値観にも縛られない「解放感」を感じるのです。

 

2018年12月9日