心についてのメモ書きー実存⑧

決断について

自由が、自らを自らたらしめるものの発見・表現、ならば、そこに至る道程で何らかの決断や選択をすることになります。

 

その決断(選択)は、他からの借り物でなく主体性をもっています。

本来の自分に至るためには、自主という道を、あるいは主体性というエネルギーをもって進まねば辿り着けないことは感覚で思ってみても、なんとなく分かるのではないでしょうか。

 

うつ状態の方はほぼ例外なく、本当の自分の気持ちを押し殺して、何らかの刷り込まれた思考によって、日常生活・人間関係を送っています。

 

仕事や結婚等いかに自分で選択したかのように考えても、実は借り物的思考に拠った決定ですから、当然主体性が欠けています。

すると、押し殺されている本当の自分の気持ちが鬱積して、不安や身体症状となって出てきます。

 

ACの方は、何らかの不安定な環境のなか生育したことで、十分に安定したとは言い難い自我を持っていますから、自己の存在ひいては対人関係に不安を抱えています。

主体性自体が不安定なわけです。

 

人生の色々な局面において、他者に対峙してイヤなことには断固としてイヤと言ったり、自分を主張したりするのが苦手で(つまり日常の細かい場面においても決断が苦手で)、相性の悪い人への耐性や対人スキルが充分でなかったりするため、幅広いバランスのとれた人間関係が築けないこともあります。

 

うつやACの方は、それまでのやり方に長年慣れていますから、主体性を持った決断、それに必要な理性的な観察が出来にくい状態にあります。

ですから、本当の意味で自分で決めることに対し、初めは躊躇するものです。

 

それでも、決断を通してひとたび本来の自分に少しでもタッチするやいなや、それまでの借り物の生き方や対人不安は徐々に、あるいは劇的に弱まっていきます。

 

それくらい、主体性をもった思考・決断というものはパワーのあるものなのです。

それは主体性が、その人特有の生きる意味を探り掴むことにも密接に関係しているからだと私は思っています。

 

2018年12月18日