愛について
自由や孤独等を充分味わい、見極めたすえに愛があると思います。
ここで私が思う愛の要素とそうでない要素を書き出してみます。
愛の構成要素:
孤独、自由、主体性、自立、真理、即興
愛とは反対の構成要素:
依存、忖度、数値目標/管理、支配、情報、ルーチン
こう書き出してみると下段の要素は、家庭においては強迫的なしつけや虐待等をしてしまう機能不全家庭に、企業等の組織においてはノルマ達成の為に不正行為・倫理違反をするいわゆるブラック企業につながる雰囲気があります。
さて、愛とは、他者に依存してベタベタと相手を手元に置いておくことでなく、お互いの人格や領域を明確にした意識的な思考や行動だと思います、まずは。
よく言われる、その人らしく生きるのを尊重する態度です。
それには自覚的に自らの由を見定め、孤独のなかで自分や他人の限界を知り、寛容さを知ることが必要だと思います。
試行錯誤しながら、生身の自分でもって自分らしく生きようとしてみてはじめて生の意味を実感し、ゆえにそのように人が生きるのを許せる、支援できる、あるいは必要であればその人を手放すことができる。
そういう人たちは、肩書等のポジション、理論理屈・数値目標やそのあてはめ等の硬直したものには興味を示さず、日々実践的に自らを生きることに淡々黙々としながら懸命です。
自らの内的な衝動や感覚に正直であろうとするため、毎日新たにされる/内的リズムがある身体感覚に耳をすまします。
すると、自分だけでなく他者や自然、つまり森羅万象の移ろいに感覚が繊細になってくる。
ついに気づきや閃きが生活の随所で起こり、それが他者にも波紋のように広がって、現実として豊かな関係性が出来てくる。
生きる意味が瞬間瞬間に実現されている。
こう考えてきますと、愛とは通常考える実存の要素(定義)の集合体にも見えてきます。
決してひとことで言えて、口先だけで簡単に実行できるものではない。
古来キリスト教では愛を至高の価値、あるいは神の体現としてきました。
ヒンドゥー教でも自己実現の根源をブラフマンといい、森羅万象と自分が同期している境地を指します。
密教の曼荼羅には、大日如来を中心に様々な精神的在り方や行いが描かれています。
これもまた、愛を形成する色々な形態の実存の態様を示したものではないでしょうか。
2019年1月7日