精神症状の構造と回復(9)ー構造②

2.構造②ー主要な防衛(抑圧)

今回以降書きます「主要な防衛」については、「子どもの頃身につけたやむを得ない生存戦略」なんだなあ、と思いながら読むと多少臨場感が出て、理解しやくなるかもしれません。

 

また、防衛はどれか一つだけ用いられるということはなく、例えば「抑圧」と「取り入れ」を併用する場合、あるいは通常は「抑圧」と「引きこもり」を用いるが、不安が高まる場面では「投影」と「否認」を用いる等、百人百様のバリエーションがあります。

それはもちろん、その人その人の生来の資質、生育史、環境等の複雑な要素によって決まってくるものであり、とうていDSM等の表層的・マニュアル的な診断基準ではアプローチし得ません。

オーダーメイドで精神構造を把握しようとする姿勢が不可欠です。

 

さて、抑圧は最も頻繁に人間が用いる防衛です。

精神的に健康な人でも「便利に」使用していると思います。

 

例えば、ひと昔まえ「仕事と割り切りゃ何でも出来る」というサラリーマンの少し苦しい気持ちを代弁したようなフレーズが流行りました。

これは、「これは仕事なんだから」という考えというか勢いで、「仕事をしたくない、あんなイヤな上司の言うことを聞きたくない」という気持ちを一時的にせよ「抑圧」しているわけです。

 

この種の人は「仕事をしたくない」という気持ちを保持しながらその仕事をすること、つまり葛藤している状態に気持ちが悪くて耐えられないのです。

それで、仕事が終わった後は、居酒屋にでも行って、抑圧を解除して「こんな仕事やってられっか」とか言いながら、本来の気持ちを吐き出したりして、多少スッキリするのです。

 

このように居酒屋等で、自分の気持ちが何らかの形で表現されていれば、つまり抑圧して無意識のなかに置きっぱなしにしないで、(事後にせよ)本当の気持ちを汲み取ってあげていれば、自分への不全感はそれほど高まらないでしょう。

ですが、それが出来ない場合は精神症状の原因となってしまいます。

 

さて、(一時的でない)精神的な苦しみの元となる本当の抑圧とは、「やってられない」等の気持ちがあるのにも関わらず、それに完全にフタをして(=無意識の領域へ抑圧する)、「仕事は必ずやるべきなんだ、上司や周囲とも上手に連携してミスのないようにやらなきゃいけないんだ」という信条だけで日々を過ごしている状態です。

 

そういう方は、子どもの頃、受験受験と喧しい強迫的な育てられ方をして、本来の子供らしい自分を持てなかった時間が多かった、けれども本当の気持ちを親に打ち明けるのが怖く、無意識に親に気に入られようとして、結局は自分を抑圧して周囲の言うことに服従する信条を持った(という心的現実をもった)のかもしれません。

 

あるいは、仕事に忙しい両親の元で育ち、無意識に親を振り向かせる為に「自分が色々やって親を助けなきゃ」と思い込み、自分を抑圧して、自分は二の次にして過剰な責任感に心身をすり減らす信条をもった、という歴史があるのかもしれません。

 

そういう自分を抑圧する構造は、例えば真に自分の気持ちに正直に生きている大人を間近に感じる等の経験があれば、「自分を抑圧するなんて馬鹿げてる」と気付き、現実に目を向けた自分なりの工夫をしてゆく過程で抑圧構造は訂正され得ます。

 

しかし、そんな機会が無かった場合、子供時代に習得した感情・思考構造はその人の強固なベースとなっていきますから、大人になって対象が変わっても、例えば対象が勉強→仕事、あるいは学校→会社という具合に、抑圧という構造を適用し続けてしまうのです。

 

2019年3月12日