精神症状の構造と回復(10)ー構造③

2.構造③ー主要な防衛(投影)

投影とは、自分の内側の感情を外側で起きたことにすることです。

 

不安等の気持ちを持ち続けることが不快で耐えられない状態の心は、その耐え難い気持ちを外側に出して、他者がその気持を持っている(投影)ことにしてしまう。

 

私は、初めて投影の概念を聞いた時には、どうにも理解し難かったのを覚えています。

なんで?自分の気持ちを他人の気持ちに?

自分とは別の人間の所に気持ちを持っていってしまう、そんなことが可能なのだろうか、と。

 

ですが、投影というものは健康的な人も使う、いわば健康的な心理機能の側面も持っていることを私は知ります。

 

自分の気が沈んでいる時に、雨が降っていれば「ああ、空も悲しんでいる」と感じるのは、自分の気持ちを空模様に投影していると言えます。

実際には、空には感情はないので、本人の悲しい気持ちとは全然関係ないのですが、人間には心的現実がありますから、こういうことが簡単に可能となります。

 

それはむしろ、色々な対象に気持ちを投影して、自らの情緒を感性豊かにしていると言っていいでしょう。

「絵心」などはこういうところから生まれるのだと思います。

 

会社の後輩が塞ぎ込んでいるのを見た時「かつての私みたいだな、彼女も以前の私と同じような心の悩みを抱えてるんじゃないかな」と思うのも、投影と言えます。

そう思うことによって、後輩に声をかけて、悩みを聞いたり、自分の経験を話したりすることにつながってゆきます。

共感への第一歩です。

 

これなら理解できる、と思ったところから、私の投影への考えは根付いていきました。

 

さて、こういう健康的な投影もあれば、精神症状の元となってしまう病的な投影もあります。

 

その特徴は、自分と他者の境界があいまい、というところにあります(健康的な投影の特徴は、自他の区別があることです)。

つまり自我境界が不完全なのです。

 

彼らは、幼少期に自我境界が何らかの要因で侵襲されたので、強い不安を持っています。

自他の境界があいまいなことに由来する防衛は他に「取り入れ」がありますが、投影の場合は強い寂しさや怒り・敵意が心の奥底にあります。

 

そういう溜まった感情をいわばエネルギー源として、自分が保持していられない気持ちの悪い感情を、境界があいまいなゆえにわりと簡単に外部に排出し、他者の感情としてしまいます。

これが病的投影です。

 

よく見られるものには、「あの人から私は嫌われてるんじゃないか」と不安になったりする心理があります。

そこには、他者を容易に信頼できない自分がいます。

そして、裏には実は切実に他者(親)から受け入れられたかった寂しさや怒り、自分には信頼できる人がいなかった・・・、そんな気持ちを抱えているのが苦しいので、他者がその気持ちを持っていることにした方がまだましだ、というわけで無意識に投影をするのです。

 

また、自分がしたことで、それが失敗したとか人から批判を受けたというような場合、その失敗や批判に真摯に向き合ったり、居酒屋にいって憂さ晴らしして後日考えてみる、等のこと=葛藤が出来ない人は、自分がした事実を心から締め出し、例えばその場にいた上司や家族など他者がしたこと(投影)にする場合もあります。

 

実際に「お前のせいだ」と言われた側は身に覚えのないことなので、人間関係を壊す可能性が高まります。

 

彼らは、根本の(幼少期の)怒りや敵意を背景に他者への猜疑心・不信を持っており、自分がいつ不意打ちを受け排除されるかもしれない恐怖心がありますから、他者の反応に敏感です。

他者=外部に心理的なベクトルがいつも向いている感じがあります(これを妄想的と言ったりもします)。

他者にたじろがない、自分というものをしっかり持つことが難しいと無意識に感じています。

 

こうイメージしてくると、理解しづらい彼らの不安定な、脆弱な自我がなんとなく分かってくる気がしてきます。

 

2019年3月19日