精神症状の構造と回復(11)ー構造④

2.構造④ー主要な防衛(否認)

先日書きました抑圧の仕組みは、一旦自分の中で認識したものの、やはりその感情に耐えきれないので、無意識の中へ押し込めてしまうことです。

 

一方、否認とは自分の心で感じたことにも関わらず、それを一旦にせよ認識することさえせずに、「なかったこと」にしてしまう防衛の方法です。

 

抑圧が、無意識とはいえ自分の中に気持ちを置くことができるのは、その基盤にある程度安全基地がしっかりしているとも言えますが、安全基地がしっかりしていないと、つまり不安を感じる度合いが強いと、不安の元となる出来事や感情を認識することさえ耐えられないので、なかったことにして(否認して)、自分を大きな不安から守ります。

 

否認は、出来事や会話の中の自分が見たくない、聞きたくない部分だけ選択的にシャットアウトすることもあります。

 

相続争い等で、何らかの事情で相手方に対し長年の後ろめたい気持ちやコンプレックスがあり、一方ではお金を欲しい気持ちも強い場合、法的な地位など相手方と同等の条件のことばかりが頭に残って、自分より相手が親の介護等で苦労した事実等には目を向けようとしない場合があります。

 

相手が自分より苦労したことを認めると、その人にとって後ろめたさという辛い感情に直面せざるを得ませんし、加えてその奥には、もしそれを認めてしまえば自分の取り分が少なくなる、でも自分の分が少ないことこそ、幼少期に安全基地の形成が脅かされた感情=親の愛情が「少ない」・認めてもらった安心感が「少ない」と感じていた心的現実がお金という形で如実に喚起されるので大いに不安になる、そんなことが考えられます。

 

そんな大きな不安には持ちこたえられませんから、その部分については、無意識に聞いていなかったり、沈黙して反応しない(思考停止)ことで自分を不安から防衛するわけです。

もし耳に残っていた音声記憶があったとしても、「記憶の編集作業」が行われ、不安喚起材料は記憶からカットされます。

そして、後日相手方との齟齬が明らかになると、人間関係にダメージを与えてしまいます。

 

そういう、人間関係に直接影響があるという意味では病的な投影と似ていますし、投影とセットで使われる場合も多い気がします。

 

投影も否認も、不安が高まるシチュエーションではあるけれども、現実を捻じ曲げてまで、自分の不安を取り除くことに執着する。

こういう現象を「前言語的」防衛とか「魔術的」防衛と言ったりします。

 

抑圧はまがりなりにも自分の内部で不安を処理しようとするのに比して、投影や否認は外部に出したり、消してしまう、魔法のように・・・。

その方法は、どこか理論や理屈以前の突拍子もない雰囲気があります。

 

つまり子供の頃の早期、言語=理屈を習得する前に身につけた防衛ではないか、と推測されるのです。

言語習得時期と安全基地や自我境界の形成時期は、ほぼ同じ時期ですが、安全基地や自我境界の不完全さが投影や否認とリンクしているのも、妥当性があるように思えます。

 

安全基地が脆弱ゆえに否認・投影を用いる、というよりそれらを用いざるを得ないほどの大きな不安が心的現実として感じられた、だから安全基地も不十分なままだ、と言ったほうがいいのかもしれません。

 

2019年3月26日