精神症状の構造と回復(21)ータイプ②

3.タイプ②ー内向と外向に分けることの意味

外向と内向に分けることになにゆえ意味があるのか?

 

別にタイプを分類して、その人にラベルを貼ることに意味があるのでは全くありません。

それでは、DSMに盲従しているだけの、マニュアル診断と同じになってしまいます。

 

むしろ、臨床の「経験上」意味があると言える、と思っています。

それは、その人のタイプを言動や雰囲気から感じとったうえで、そのタイプにカウンセラー自身を同化させようとするその瞬間に、クライアントその人の感覚が感じ取れるようになり易い、ということです。

 

健康的にしろ病的にしろ、ある防衛を用いて人生を歩んできた人、その人がその防衛を用いるようになったパーソナリティー的背景がおぼろげながら立ち上がってくるような気がします。

そうなると、カウンセラーの分かった感が生まれてくる可能性が高くなる、すると当然クライアントの「分かってもらった感」に繋がってくる。

 

タイプは、古代から思想として受け継がれてきたので、人間存在への入り口として、ある意味理屈抜きで入り込み易い、感覚的直観的な視点なのだと想像しています。

 

タイプを何も措定しないままクライアントの話を聞くことは、例えて言うと、熱帯雨林に住む人であれ、砂漠に住む人であれ、その生活を想像するのに、いつもダウンコートを着て熱いお茶を飲みながら相手の話を聞いているようなものです。

実感が湧きにくいのです。

 

あるいは、結果的にタイプの見立てが違っていても、議論と同じことで、ある視点を保持していなければ、自分の見方と相手の見方の違いさえはっきりしてこない。

「ニュートラル」とか「客観性」は、他者を分かろうとする時にはあまり役に立たないのです。

 

あまりにカウンセラーのわかった感が乏しければ、タイプを逆のもので考え直すと視野が開けることもあるのですし。

 

そういう意味で、タイプを感じ取ろうする姿勢は「共感の方向性」を定めようとする感覚であり、クライアントとカウンセラー関係の羅針盤のようなものと私は捉えています。

 

2019年6月10日