精神症状の構造と回復(30)ー回復へ向けて⑥

4.回復へ向けて⑥ー導入(葛藤)

導入として、もうひとつ「葛藤」という大切なことを是非ともお伝えせねばなりません。

カウンセリングの初期において、モチベーションと並んで最重要のことだと私は考えています。

 

葛藤はいいことだ、とまでは言いませんが、決して悪くないことだ、とお伝えします。

 

これは、防衛および不安と関係しています。

クライアントは例外なく不安です。

その不安の直接の原因は、例えば抑圧的防衛を用いて、根本の感情や本来の自己を押し殺したり、見ないようにしていることから来ています。

そこから、心身が「押し殺されて苦しいよ」とサインを送ってきて、それが今の不安として体験されます。

 

しかしながら、以前書きましたように、元々防衛は幼少〜青年期に自分を守るためのやむを得ない戦略、いわば原不安(古い不安)から自分を守るための、当時としては苦肉の方策だったわけです。

 

ですが言い換えると、自分を守るためとはいえ、不安を抑圧等して見ないようにするのは「非」葛藤の状態と言えます。

子供にすれば、無力な自分を痛感したままで親に屈従するのは耐え難い葛藤ですから、防衛すれば無力な自分を認識せずに済む、あるいは親への激しい怒りを感じずに済むわけです。

 

そして、そんな防衛的姿勢を環境が変わった現在にも持ち越しているのです。

なので、現在感じてる不安とは別の種類の古い不安が隠れている。

 

その古い不安にいきなり向き合うのはことによると大変にしても、どうも昔何か大変だったと感じていたこと(心的現実)とか、そこから生じる不安に対応するため今まで当たり前にやってきたことやもしかすると必死にしがみついていたやり方(防衛)がありそうだ、という感じで上記の説明も交えながら、クライアントと共に考えていきます。

 

葛藤のスタートです。

 

このように葛藤とは、隠していたことに目を向け、やり馴れてきたことを疑うことなので、はじめは少し怖いものです。

 

しかし、隠していたこと、やり馴れていたこと、こそが苦しみの原因です。

人間が生まれて以来、親をはじめ他者と関わって生きる限り、他者を思い通りにすることは出来ないし、人間関係の未来をコントロールすることもできません、けれど子供は不安だからそれをどうにかしたい。

そこに葛藤が生まれます、そしてその葛藤とはあって当たり前のことではないでしょうか。

 

そういう当たり前のことをどうにかしようとすることは、成長した今はもはや現実にそぐわない防衛であり、そんな非葛藤状態は端的に言って病的なのです、ありのままの生き生きとした感情や意欲、「当たり前の不安」を阻害するのです。

 

ですから、葛藤はむしろ健康的と言っていいものだということをお伝えする必要があるのです。

但し、葛藤は最初は不安に慣れていく苦しい面もあるので、いいことだと言っては若干騙した感じになりますから、悪くないとお伝えします。

 

2019年9月10日