精神症状の構造と回復(36)ー回復へ向けて⑫

4.回復へ向けて⑫ー共同作業(本来の自己)

半年前の5月14日、「2.構造⑪ー精神症状に共通の特徴(自分がない)」の項でこう書きました。

「もともと生まれた時から、本当の自分が確実に存在し、それは自分にとっての少なくとも健全な状態=防衛に囚われない状態を知っているし、それを常に求めている。また、本来満たされた味わい豊かな存在ゆえに、空っぽな味気ない今の生き方に不快感を示している。だから健全でない今の状態に色々な形でメッセージを送ってくる、と考えられるのです。」

 

精神症状が辛い時は、本当の自分から今の生き方(偽の自己)に対して、ブレーキをかけるような、緊急避難的な意味合いが強かったと思います。

 

ですがカウンセリングが進み、偽の自己の防衛的な構造を理性でも気持ちでも理解するにつれて、本来の自己が動き出してきます。

足枷が軽くなり、自然の自己治癒力が働くといってもいいでしょう。

 

また、セッションの当初の段階から、どこか防衛的でないもの=本当の自己に由来するものがダイレクトに感じられる時は、そこに注意を払い続けていきます。

 

それらの動きが微細なものであっても、その芽を摘まないように生かしていきたいところです。

 

セッションでよく話に登るのは、

「子供の頃から理屈抜きで好きだったもの」

「もの等でなくても、これだけはどうしても譲れないやり方」

などですが、具体的な対象ややり方というよりも、自分にぴったりくる理屈抜きの「感覚」を大事にすることが重要だということを話し合います。

 

それは、今まで(自己)否定していた、未熟なものと思って置き去りにしてしまった、防衛を身につける前の本来の自分を拾い上げて、基盤にすえなおす作業です。

 

思えば、防衛というものは、親という圧倒的な存在に見捨てられない為に、子供が四苦八苦してやむを得ず身につけた思考・信念・価値観の体系ですが、その四苦八苦する過程で無意識とはいえ必ず「恣意的な」思い込み=自分が悪いから自分を直さなきゃ、自分が我慢すれば丸く収まる、素のままだと嫌われる等の思い込みが入りこみます。

その恣意的な思い込みが成長するにつれて、精神症状特有の自己中心性や完全主義・強迫性を形成してゆきます。

 

そこには、ある種の硬直した「理屈付け」が働いています。

ゆえに理屈や(恣意的な)思考でなく、「理屈抜きの感覚」、自然なもともとの自分の感覚を想い出す必要があるのです。

 

2019年11月12日