参考になる本など(18)ー「こころの時代 禅の知恵に学ぶ」(続)

NHKテレビーEテレ「こころの時代 禅の知恵に学ぶ」(続)

山川さんは言います。

「公案も結局は己事究明(こじきゅうめい)です。己(おのれ)のこととして探求し、自分で掴むしかない。」

 

公案の意味を解するのに山川さんは数年かかりました。

冬は零下十数度の寺で厳しい修行をし、公案の意味を考え続け、単身勝手の知らない寺に行き、そこでようやく我が事ととして、公案の意味を、というより公案の精神を「体得」できた。

 

カウンセリングと非常に似ています。

あたまで体裁のいい回答を求めているうちは決して変われない、感情や感慨を込めて自分で自分を痛感したときこそ変わることができる。

 

別の回では、作務がテーマです。

作務とは、寺の生活に関わる諸活動ー薪割り、庭木の刈り込み、障子はり、素人でもできる範囲の大工しごと等々です。

 

ここでもブッダととある弟子のエピソードです。

 

ブッダの説教をいくら聞いても覚えられない弟子がいたそうです。

その弟子は「自分は駄目だ、自分が情けない」と言って嘆きました。

 

そこでブッダ登場して曰く「説教を聞く代わりに、ここを毎日掃除してほしい、但し「ほこりを掃くことが自分の心を清めることだ」と唱えながら掃いてくれ、できるか?」

 

弟子「掃くことはできますが、その言葉を覚えられません」

ブッダ「そうか、では「塵を払え」と唱えながら掃いてくれ、それがお前の修行だ、できるか?」

弟子「それならなんとか出来そうです」

 

弟子は「塵を払え」「塵を払え」と唱えて、来る日も来る日も寺を掃除します。

 

歳月が流れます。

毎日掃除しているので、塵はありません。

それでも「塵を払え」と言いながら、掃除していたある日弟子はふいに悟ります。

 

「あああっ!塵などどこにもないじゃないか、自分の中にも駄目などどこにもないじゃないか!」

 

ここにも己事究明の姿勢があります。

自分の悩み=煩悩を棚上げにして日々身体を動かして作業に集中する(=作務)ことで、否が応でも頭でっかちの状態を突き崩す、そして体得する。

それが実は真の自分への道となる。

山川さんは「究極の作務の姿だ」と言っています。

 

自己否定がある、自己評価が低い、と言う方は多いですが、それも結局は作り出した幻想、もともとはそんなものは自分の中にはないのです。

 

2020年2月4日