2つのグループ
罪悪感は、自分の内に籠もって悶々としている感じがあります。
対人関係のその場で罪悪感を感じるという場合はあまりない気がします。
時間的に事後になってくよくよする印象があります。
自己否定は、対人関係の場で、リアルタイムに自己否定感を持つことがけっこうあると思います。
また、漠然とした、あるいは不意に湧き上がる不安は、罪悪感よりも自己否定感を伴う時が多い気がします。
そう考えると罪悪感は、内向タイプの人に多いと言えるかもしれません。
一方、自己否定は、外向タイプの人に多いかもしれない。
しかしそれだけの括りだと、大雑把過ぎる気がします。
内向と外向はパーソナリティなので、もともと良いも悪いもありません。
ここでは、前回書いたように、後天的に身に着けたもの=防衛、しかもすなわちよろしくはない意味で、その人の病的防衛を形成する人生ストーリーを何となくイメージできる括りが欲しいところです。
そこで、幼児期に母親との関係をどう認識し、どのように病的防衛を形成するに至ったのか、
そのあたりをタイプとは別に、もうひとつの括りとして提示したいと思います。
母親との一体感(但し幻想的な)に浸っている状態をひとつのグループ。
母親に満たされたい・振り向いてほしいために必死に努力する状態をもうひとつのグループとしましょう。
前者を「幻想・憐憫グループ」、後者を「強迫・妄想グループ」と定義します。
罪悪感は「幻想・憐憫グループ」、自己否定感は「強迫・妄想グループ」に関係しているというのが仮説です。
次回からは、ストーリー的にそれぞれのグループを見ていきたいと思います。
2020年2月24日