幻想・憐憫グループ その2
現実を見たくない気持ちから生ずる心理は、まず自分への憐憫感情です。
悲劇のヒロイン感と言ってもいいでしょう。
そこには、自分を中心に考えてくれて当たり前だという精神症状特有の自己中心性が見られます。
この自己中心性は母との一体感に浸っているがゆえの万能感からも来ています。
傷つきたくないために、自分が可愛そうだという気分に逃避して浸っていたい、臭いものに蓋をしていられる。
あるいは浸っていればイヤなものは、魔法のように過ぎ去ってなくなってくれるんじゃないか、という幻想。
ですが、もちろんこれらは幻想の自己中心性、幻想の万能感です。
憐憫は他者への憐憫にも適用されます。
「母との一体感を失うことはできない」恐怖は、「母(他者)を救わなきゃいけない」憐憫感情になっていき、そこには万能感も入っていますから、恐怖感と相まって、現実を無視した独りよがりの、過剰とも言うべき心境や言動となってきます。
母親と同様に親しい存在の他者や気にかけるべき存在(上司や権威があると感じる人)に対し、一体感を維持したいがために、ささいな事でも「さっき変なこと言ったんじゃないか」と不安になり、気に病んだりする。
また、何かのきっかけでその人と関係が切れそうな場合は、「救わなきゃいけない人」を自分から裏切ったのではないかという不安がでてきたりします。
そこにはやはりその人を失う(その人から見捨てられる)と自分の存在が脅かされる不安がある。
見捨てられるという原不安なので衝動は強くて過剰、ゆえに現実を見ない幻想性・万能感は時間性(という現実)を無視し、過去にも自在に適用される。
それが「あの時〜しておけばよかったんじゃないか」などの罪悪感や後悔となって感じられてくる、と考えられるのです。
何回もくよくよして、考えてもどうにも出来ないことに(見方を変えれば)耽溺している。
今や病的防衛になっていて、本来の自己を圧迫するので、苦しいものです。
2020年3月24日