幻想・憐憫グループ その3
罪悪感の要因はもうひとつあります。
親との一体感を形成する過程で、自分への親の「とり入れ」が行われることです。
これは一体になる過程で起こる、ある意味必然の出来事だと思います。
自分のおしっこやうんちの世話をしてくれたり、食べ物を与えてくれる大事な存在。
そばで安心して眠ったり、色々なことを聞いても何でも教えてくれる(と思ってる)安心できる存在。
そんな存在は幼児にとって圧倒的です。
その存在は心の中で大きな地位を占めます。
これはフロイトの言う「超自我」と同じものだと思います。
超自我は、あたかも自分(自我)の上位に命令者や管理者がいるような感覚です。
但し、幼児・少年期はそんなことは意識上には登っていません、無意識下で超自我を取り込みます。
成長過程で、小さい子供はそんな圧倒的な親に対し一体化する、つまり親の価値観をまるごと取り入れます。
やがて前回書いたように「救わなきゃ」という心理も芽生えてきます。
青年期以降は、超自我は親しい存在の他者にも投影されていきます。
やがて超自我的な人を裏切ったと感じることが起こった時、罪悪感別名自責感を感じるのは、自分のなかの超自我、自分よりも上位の存在を裏切ってしまったので、超自我から自分が責められる=自分で自分を責める感覚になるからなのです。
ここで個人的な事を言いますと、以前「会社員を辞めようかな」という気持ちが私の頭をよぎった時、父親に「お父さんの会社員生活は楽しかった?」と聞いたことがありました。
楽しくないと思う会社員生活だけど、それを離れて人生をやっていけるのか躊躇している自分がいました。
一方で、「一流企業に入れ」と言い続けていた父=超自我からそれを離れる許可を与えてほしい、という自責感からくる葛藤が私にあったのだと思います。
2020年4月6日