「グッドマザー」と「バッドマザー」①

はじめに

「グッドマザー」と「バッドマザー」、と書くのは、もちろん、良い母親というのはこれこれこういうことを子供にしてあげることが子供の情操教育にとって良いんです、ということを書こうとしてるのではありません。

 

ひとりの母親が子供の心理にとっては2極に分割される、という不思議な、しかし精神構造を考えるうえでは重要な現象を書こうとしています。

 

「グッドマザー」と「バッドマザー」のふたつが自分の中にあるんだとクライアントが気づくまでにはある程度の時間を要すると思います。

 

言い換えると、すぐには気づかない、あるいは「気づきたくない」。

 

しかし、それに気づくと自分自身のことが深く理解できるようになる。

 

例えば、楽しい、素晴らしいと思うことに子供の時から一生懸命がんばって取り組んできたが、自分でもちょっと忙しすぎて疲れる、でもそれをやめると虚しさを感じるので、やはり忙しくしてた方がいい、そうするしかないと思っている人。

 

あるいは、他人と付き合うのが苦手で、自分の世界に居た方が楽でひきこもりっぽいけど、実はその世界に自信をもっているし、むしろ他人が自分よりも馬鹿にみえることさえある人。

 

こういう人たちは、自らのなかのグッドな/バッドな母への理解が進むにつれ、前者は躁的状態であったことが分かるでしょうし、後者は自己愛的な要素があったことに気づいてゆくでしょう。

 

「グッドマザー」「バッドマザー」という現象は、一般には馴染み度は薄いと思います。

本でも精神分析の対象関係論を扱った専門書でないとこのテーマに触れることはないようにみえますので、今回から書いてみたいと思います。

 

2020年10月8日