「グッドマザー」と「バッドマザー」②

パーソナリティのズレ

母親と子供は違う人間ですから、全く同一のパーソナリティではあり得ません。

すると、母と子で必然的にズレが生じる。

 

子供は感覚的な共感が欲しいのに対し、母親は知性的な納得を重視する場合。

子供はひとり遊びが好きなのに、母親は友達と遊べと言う場合。

 

千組の母子がいれば千通りのこれと似たような、但し各々細部は違う人生の母子関係が今も進行しています。

 

さて、もちろん問題はズレに対する「子供の側」の受け取り方です。

 

母親が、なんの気無しに言うこと、当たり前だと思ってやっていること(そしてそこにはたいてい母親自身の強迫性が多少なりとも含まれていますが・・・)。

 

それに対して子供はどう感じるか?

 

例えば、弟が生まれたばかりで忙しい母になんの気無しに「今はあっち行って遊んでなさい」と言われた子供は、追放されたようなショックを受けるかもしれません。

 

ですが、母親にしてみると、限られた自分のエネルギーを使って精一杯育児をしているわけです。

母親その人なりの考えがあって「良かれ」と思って育児しています。

 

母親は大人ですからパーソナリティは(良くも悪くも)ある程度固まっているので、その育児は継続して毎日行われるでしょうし、「良かれ」は滅多なことでは変更されないでしょう。

一貫性があるわけです。

 

その一貫性に毎日接し続ける子供の側に何が起こるかは言うまでもないと思います。

 

※もちろん明白な虐待の場合は話は別です。ですが、「ズレ」の範囲であっても、子供にとっては大きな影響があるということを大人が知っておくことには意味があると思います。

 

2020年10月20日