カウンセリングという体験について⑥

気づき(続)

「その場を切り抜けるためにどうしようかと色々悩んでいた」子供時代の心理、セラピストにはそんな仮説が浮かんでいます。

 

そんなセラピストの仮説も手掛かりにクライアントが自己観察を重ねてゆくと、このような気づきにいたるでしょう。

 

(前回挙げた3つの話に対応して)

 

・(親と決裂するなんておそろしいことはできないから)そこをなんとか「切り抜ける」ために、親との関係を当たり障りない関係にしようと子供の時思ったんだ。

それは、自分にとっては親と一定の「距離をとる」ことだったんだな。

その姿勢が他者と距離を置く態度として定着し、さしたる理由もないのに(むしろ理由を自分で勝手に作って)人間関係から去っていたんだな。

 

・親との当たり障りない関係を維持しようとする基本姿勢が、その場に「なんとかスムーズに居続ける」ために、あいさつや笑顔づくり、話題への同調やあいづちの打ち方になっていった。

成長後は一定の学力や仕事のスキル等を社会人として身につけてきたつもりだが、本質はその場を「切り抜け」れさえすればいいということだったんだ。

 

・自分には、孤独にさすらうとか、はかない人生をたんたんと送るとか、世知辛い世を「生き抜く」のに仕方なくおどけたピエロみたいな感じになる、っていう感じがある。

でもそれって、「その場その場で」人間関係から隠れたりしてるうちに、ひとりで人生をとぼとぼ歩いていかなきゃいけない、人間関係をなかば諦めた、固定したイメージに囚われるようになっていったんだ。

 

3つとも、その場をなんとか切り抜ける、とりあえず居続ける、という心理から派生していることがわかるでしょうか。

 

この一連の自己観察からクライアントは、人間関係を深められないのは、その場しのぎ的で、あっさりと表面的で、空虚感のあった自分の思考や心理が働いていたからなんだ、腑に落ちてきます。

 

自分についてのある程度まとまった地図の完成です。

 

ここまで分かってくると、従来のやり方を踏襲しようとすることが知性的にも感情的にも不合理だと分かっているるので、人間関係への態度にも変化がでてきます。

 

2021年7月9日 佐藤