強迫性について④

強迫性のどこが問題か

親という別の人間に育てられる、ゆえに自分と一致しない部分=ズレが生じる、それが見捨てられる不安や生き延びる為の強迫性となってゆく、それは人間にとって避けられるものだろうか?

 

避けがたいものなのではないでしょうか、と私は考えています。

 

避け得るためには、(逆説的ですが)親と「完全に」一致している必要がありますが、そんな完全なことが人間に出来るとは思えませんし、だいいち不自然です。

 

全ての人間は親とのズレに傷つき、多かれ少なかれ強迫性を抱えて大人になる。

 

しかしながら、それらをひとつひとつ癒やし無くしていくことは可能だとも思います。

 

古くには、宗教がその役割を担っていたに違いありません。

現在は、カウンセリング・セラピー・精神分析もその役割を担えると私は思っています。

 

さて、強迫性のどこが問題なのか?症状となって苦しくなるのか?という素朴な疑問があります。

 

その疑問にひとことで答えるならば、

 

頭が身体を阻害しているからだ、

観念でばかり生きていて、心身がお留守になっているからだ、

と答えます。

 

あるいは、観念という幻想の世界に住んでいて、現実に触れていないからだ、

過去への反省や未来への心配を「現実的に」行っているつもりでも実はそれは幻想的だからだ、

と答えます。

 

2021年8月27日 佐藤