強迫性について⑫

私の強迫性体験その6

前々回、強迫性から離れるためには実感する必要があり、それにはひとつはリアルタイムに強迫性に気づくことだと書きました。

 

その他に、実感するために必要なことを挙げてみます。

 

私の場合、カウンセリングを受ける側として、つまり自分の教育分析を通して、幼少期から自分がしてきたことが表面上の形態は違えども、いかに同じ心理的な構造のもとに強迫行動を繰り返してきたかに気づいていったことがあげられます。

 

しかし一方で、「過去のことを理解するのは大事だけど、理解したところで現在の自分が変わるのか?」という疑問を持つ方がおられます。

私もある時点までそう思っていました。

 

ですが、本当に「過去のこと」なのでしょうか?

 

いいえ、単なる過去ではなく、地層のように、樹木の年輪のように、今も自分の一部を形成している、現在も厳然と存在している、息づいている。

 

もっと言えば、感じとってもらえるのをずっと待っている。

 

そこに、ある種の境地とでもいうべきものが介在すると私は思っています。

非常に多くの感覚群があるはずで、言葉にするのは難しいのですが私を例に書いてみます。

 

今まで自分がいかに不自由な生き方をしてきたか(自分の感じたことをなかったことにしてきた)、本当はやりたくないこと(自分より他人に合わせてきた)をやってきていたのかに徐々に気づいてゆく。

 

すると、人生の色々な場面や全体的な心象での、(これらもまたなかったことにしてきたであろう)悲しみ、恐怖、怒り、強迫行為をせざるを得なかった自分の不安等を今になってようやくしみじみと感じる。

 

そんな境地に踏み入る。

 

しかし一方で、やりたくないことをやってきた自分への赦しも湧いてくる・・・。

 

本当に様々な感情や想い等を孕んだ自分の年輪、その全体を生きたものとして「実感」することがすごく重要だと思います。

 

2021年11月17日 佐藤