その人の「一点」を見据える⑤

凡情を尽くす

前々回書いた「失敗しないように」と関係がありますが、「凡情を尽くす」ということを今回は書きます。

 

「凡情を尽くせ」は、仏教で使われる言葉です。

 

くだらないことでも、そのくだらなさを知るためには、それをしっかり経験しないと分からない、というような意味です。

 

自分の一点がまだ見つからないで将来が不安な方は多いです。

 

そのなかには、資格や学歴という一見将来が約束されたものにこだわる方もいます。

 

あるいは、興味がありそうなことはあるけど、思っているのと違う世界じゃないか、本当にやっていけるのか、ああでもないこうでもないと心配するばかりで、そのことに飛び込めない方もいます。

 

いずれも自己評価の低さや完全主義が関係していますが、今回はそこはさておき、私が言いたいのは、経験してみないと自分の中に不完全燃焼感が残る、ということです。

 

納得感と言い換えてもいいです。

 

そもそも、自分に合っているかどうか、やれるかやれないか、はすぐに分かるはずはありません。

 

あたまで考えるのでなく、身をもって経験するしかない。

 

その結果、もし思っていたのと違っていた(=凡情)としても、肌で感じ尽くしたという感触にはある種の納得感があります。

 

この自分の中の感触、自分の生命を燃やしている実感が大事と思います。

 

さらには、その経験をふまえて方向修正したり、ある種の勘所が掴めたり、たとえ失敗に見えても後から振り返ると役に立った経験であることも多いと思います。

 

2022年4月27日 佐藤