その人の「一点」を見据える⑨

不安を抱えられるようになる

多かれ少なかれ、自己嫌悪を持っておられる方は多いです。

 

自己評価が低い、と言っても同じことです。

 

この自己嫌悪ということ自体が、前回まで書いた、自分のメリットを抑圧するのと同じ現象です。

 

自己嫌悪が当たり前の気持ちとなっている度合いが高いほど、人からどう思われているかを気にする気持ちも強くなりますし、確実なもの(学歴、地位、金銭、数値、権威等)にすがりたくなる度合いも高くなります、つまり強迫性の度合いが強くなるわけです。

 

そこで言いたいのは、まずは自己嫌悪を当たり前と思わず、「自己嫌悪があるのは何故だろう」と思ってみる、あるいは「あー自己嫌悪を感じているな(いたな)」と自分を観察してみる、ことです。

 

そういう自己観察が出来るようになればなるほど、自己嫌悪に踊らされて強迫行動に進む度合いも減じてきます。

 

言い換えると、不安(自己嫌悪)を抱えられるようになる、と言ってもいいです。

 

例えば、今まで「あー出来なかった自分がだめなんだ」と思うと「皆に合わせる顔がない」という気持ちに直結していたのが、不安を抱えて自己観察をすると「出来なかった部分もあるが、それだけだろうか?出来ている部分もあるよな」と現実を把握できる感じになっていき、「本当に出来なかったら皆から評価されないのは当然、でも出来る部分は評価してくれるはず、いや自分で評価していいんだ」というように自己嫌悪の雰囲気にだんだん流されなくなってきて、妥当な視点というべきものが出来てきます。

 

こういう真に自分に向き合う態度のなかから、自分の一点を見い出せるようになります。

 

得意、不得意、純然たる何かの才能、目に見えないものへの繊細な感じ方、倦まずこつこつと続けられる忍耐、即興の驚きや喜びの生命感等。

 

人から見えるもの、見えないもの色々ありますが、その人が「この感じ、この感じ」としっくり思えるもの、そんな感じがあれば、それでいいのではないでしょうか。

 

2022年7月28日 佐藤