カウンセリングの現場では②

思い込みという垢をおとす

人間というものは、成長する過程でその環境に応じて、どうしても心理的な思い込みをもつようになります。

 

母親はひとりだけ、ふたりの母親をもつことはできない、なのでどうしてもその特定の母親という女性の影響を長期間にわたって受け続ける。

 

あるいは、4世代、3世代の大家族で育った場合でも、大家族の文化や価値観がある日突如変わるとは思えません、その影響は本人に長年染み込んでいくようになると思います。

 

そのような環境のもとで、ともすると無意識のうちに自分を抑圧する方向になってきて、しかもそれがいいことなんだと価値づけをしてしまう、そうなると生きづらくなってきます。

 

例えば、波風立てず、卒なく振る舞うことが、いいことなんだ、という価値づけ、思い込み。

 

しかしこれはともすれば、自分の本音を隠し、自分を表現せず、従い本音で他者と関われないことになり、生きている実感の乏しい生活になってきます。

 

そこで、卒なく振る舞うことについての対話が、カウンセリングの現場では重要になってきます。

 

卒なく振る舞うことの味気なさをぼんやりとは感じていても、最初は本当にはその空虚さを実感していない場合も多いです。

 

自分がそういう生き方でいかに機会を逸してきたか、それを肌感覚で実感するようにセッションが進むのが望ましいですが、人によりすぐそうなる場合もありますが、ならない場合の方が多いです。

 

「わかりました、実感しました」と言ってはいても、卒なく振る舞うことがくせになっていて、どこかではその生き方もありだと思っていたり、それ以外のやり方をやったことがないので他のやり方が分からないという人もいます。

 

私の先生の先生の近藤章久のことばです。

 

「カウンセリングとは風呂に入ってゆっくり垢をおとしていくようなものだ」。

 

「ゆっくり」ということ、すぐに直そうと思わないこと。

 

昨今、正解を求めて、また短期間でそれを得たいといった風潮が社会にあるような印象があります。

 

ゆっくりでなく、急いで正解を求めて、一足飛びに治りたい気になりたいこと自体が、卒なく振る舞う妙な要領の良さにも通じている気がします。

 

「垢をおとす」、自分に向き合う、自分を観ていく。

 

例えばステップアップ研修といったもので、卒なく要領よく色々なものを身に着けてきた人も多いですが、むしろそのやり方自体を再検討し、実は自分を疎外しているものであれば、垢をおとすようにじっくりそこから、思い込みからはなれていく。

 

そんな話をセッションですることもあります。

 

2022年9月15日 佐藤