カウンセリングの現場では⑩

ストーリー性と非ストーリー性について(続)

映画「怪物」は、ある出来事について3人の人間それぞれの主観が描かれているようです。

 

映画「君たちはいかに生きるか」は、母を亡くし継母を迎えた少年の心情を時空を超えた、非常に内的な心象風景として描いているようです。

 

以前の是枝監督と宮崎監督の作品は、今回の映画と比べると、主観より客観、心的現実より出来事的現実に重きをおいて描いていた印象があります。

 

思うに、この世界の有り様として、つまり我々人間存在の本質は、客観性、理論性、辻褄性等とはあまり関係ないところで成立しているのではないでしょうか。

 

ひとつのストーリー、理論つまり単一の線形的な考え(成長・上昇・起承転結等)では補足出来ない何か。

 

再び私の睡眠についての体験です。

 

やっぱり眠れないな、という時「眠れようと眠れまいと何でも来い」という気でいると、いくらか気持ちが変わってくることを発見しました。

 

要は、眠れないまま朝を迎え、何がしかの活動をせねばならない、そのこと自体をも受け入れてしまおうじゃないか、ということです。

 

これは本当に「結果」論ですが、こういう気持ちになると、ほぼ眠りに落ちる、たまにあまり眠れない時でも、元々腹をくくっているせいか、短い眠りでも眠りの質は良い気がする。

 

これは、ストーリー性を離れた結果こうなったのではないかという気がするのです。

 

翌日の活動をきちんとこなさなければいけない、その為には完璧な気分でないといやだ、この感じはストーリー性と言えそうです。

 

しかし、頭でそう考えれば考えるほど、人間の体=人間存在の本質はことごとくそれを意に介さない。

 

次回に続きます。

 

2023年9月10日 佐藤